戦争には多額のお金がかかるのは言うまでもありません。19世紀ヨーロッパ大陸を制覇し圧倒的な軍事力を持っていたナポレオンですが、イギリスに対しては勝利の旗をかかげることは最後までかないませんでした。
そのきっかけとして、海上戦でのナポレオン率いるフランスとイギリスでの起きた差について紹介していきましょう。まず大前提としてフランスの人口はイギリスよりおおきく、経済力もありました。戦列艦と呼ばれる一列に並んで敵の艦隊を砲撃できる戦闘艦もより多く作れるため、イギリスが一部分の場所で勝てても全体で見ればフランス優位は揺るぎませんでした。
そうした中、オランダとポルトガルで発明・改良されたキャラベル船と呼ばれる巨大な船は、数を用意しなくても優位に立てるものの非常に高価な船でした。これを数用意するために、イギリスはお財布事情を大きく改善させました。
元々イギリスの発行していた国債は、イギリス王室がしばしば「債務不履行」を行うため非常に高い金利を払っていました。しかし、名誉革命以降金利の支払いが正常化することで、15%以上あった金利も1702年には6%。さらに1755年には2.74%にまで下がりました。
こうして他国よりも安い金利でお金を調達することができ、最新鋭の戦艦を購入していくことで高い軍事力を持ちました。それだけでなく、火薬をつかった実戦さながらの訓練を行なっていたこと。それらが、戦争の勝因とも言えるのです。
江戸時代といえば、商工業の分野で目覚ましい発展が起きたにもかかわらず、産業革命が起きなかったと言われています。その理由としてあげられるのは、「人口過剰」です。
人口圧が高いと、労働生産性を高めることなく低い賃金で容易に労働力を確保できるようになります。比較先のイギリスでは、労働力を制約するための機械のニーズが高まりました。労働力が高価で資本が安価な場所では、より機械を使った方が利益になるという状況になり、機械を売ったり導入したほうが商売になるという状況が産業革命につながっていきました。
19世紀の日本はどうでしょうか。濃尾地方では1660年、家畜数は1万7825頭いたと言われています。しかし、1810年頃の家畜数は8104頭とじつに55%も減少してしまいました。
人口が増加し1人当たりの人件費が下がるにつれて、家畜の代わりに人を使って工作させるようになったわけです。労働力を削減して機械依存度を高めたのが産業革命だとすると、勤勉革命とも呼べる安価な労働力を活用した形だけで成長する戦略を江戸時代は取っていたということなのです。
生産性において、意外な歴史研究が存在します。それはアメリカの南北戦争のきっかけとなった奴隷制度です。一般的な思考でかんがえれば、奴隷を強制労働させるよりも、賃金を払った方がはるかに利益を生み出しそうなものです。
しかし、奴隷制を活用していた南部の農場は農業に適していただけでなく、効率的に奴隷個々人を適切に配置して生産効率を高めていたということです。奴隷たちを組織立ててより成果を上げるチームには、休憩や食事を与え、競争に負けたチームには過酷な体罰を与えていきました。
対する北部は、奴隷をつかって効率を高めることではなく産業革命を起こしていきました。なかでも、武器としての銃器生産については当時として世界レベルの性能を持つ製造システムを作り上げました。
そうしたシステム化された能力は、輸送体系にも優位性を生んだと言われています。補給や輸送を実現する鉄道網などは、戦争の勝敗を決定づけました。もしかしたら、この産業革命が起きなければアメリカも今とは異なる形になっていたのかもしれません。
100年前のスペイン風邪ではある教訓が生まれました。米コロラド州デンバー市では、第一波の超過死亡を乗り越えた後に、第二波でより大きな被害を被ってしまいました。
このときデンバーで得られた教訓は、単に第二波の発生を甘く見たという話ではありません。そうした状況に応じてロックダウンを強化した結果、経済成長率が大きく下落する可能性があるということです。
ウイルスを素早く封じ込めることに成功した国では、その代償として申告な不況を迎えました。生命を重視する代わり、厳しい景気縮小に耐えることを実現しなければいけません。
そうしたとき、政府はどういった対策をとるべきなのか。多くの場合、手遅れになりがちな財政政策です。お金が歴史をどう作っていくのか、いまはまさにそれを学ぶ良いきっかけになるのではないでしょうか。
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