貨幣の何かがおかしい。そう思うことはありませんか。今日の私たちの悩みの多くに貨幣がかかわっています。それは貨幣というシステムの何か本質的な欠陥によるものではないか。
貨幣を変えた方が良いのではないか。そうした疑問が、金融や経済あるいは社会のあり方を巡って繰り返される論争の根底にあるように感じるのは私だけではないでしょう。その答えを、貨幣の歴史を振り返りながら探してみたい。そう思いながら私はこの本を書き始めました。
想像してください。人類がまだ弱く、海原を恐る恐る筏や丸木舟で航海していた時代の話です。人々は島に上陸しました。彼らは美味しい味と香りのする実をつける木が生えているのを見つけたのです。彼らは、その木を「パンの木」と呼び、それを頼りに暮らしていく決心をしました。
さて、そうして島で暮らしてみると、人々はあることに気がつきました。パンの木には多くの実をつける年と、少しの実しかつけない年があるのです。ここで人々は多くの実が得られた年には他の家族に分け与え、少しの実しか得られなかった年には他の家族に分けてもらうという「助け合い」というかたちで蓄えておくことに成功したのです。ここで「貯蓄」が始まったわけです。
そしてそれは、見ず知らずの間柄でも実行可能な「契約」へと変化させることで一気に拡大していきました。そうして農業が始まり経済成長が始まったわけです。人々が交渉のために集まる場所は「市場」と呼ばれるようになり、そこで出来上がる相場が「市場価格」となったわけです。「市場価格」は「需要」と「供給」が一致し成立します。
貨幣の特質として、それが「価値の保蔵手段」であることに加え、「決済手段」であり、さらに「価値尺度」でもあるといわれることがあります。
パンの木の島では「パンの実」を貨幣として使うのは便利なのですが、問題も少なくありません。パンの実はかさばって重いし、市場への行き帰りに雨に濡れたら大変です。
では、どんなものが貨幣としてよいのでしょうか。
現実の歴史をみると、貨幣として何が使われたかは、地域や時代によってさまざまです。世界史を通じて貨幣の主流になっていったのは金属なのですが、案外多いのは貝、とりわけ宝貝の貝殻でした。この物語でも宝貝が貨幣として使われ始めたことにして話を進めましょう。
貝などの自然の物産を貨幣にするとき大きな問題は、どうやって価値があることを保証するかです。そこで始まったのが、貝を「鑑定」することです。島の裕福な家族(シェル家と呼称します)が家名を貝殻に彫り込むことで、人々はシェル家が保証してくれるならと安心して貝を貨幣として利用します。
やがてシェル家は「王家」と呼ばれるようになり、その役割は「政府」と呼ばれるようになりました。貨幣の発行も政府の「業務」になっていったのです。
現実の歴史をみても、貨幣の誕生と王権の成立は並行している例が少なくありません。
やがてシェル家は「バンク」を運営し、「国債」を発行するまでになります。
ある日、島の外から船に乗って見慣れぬ人々がやって来ました。彼らは金貨と銀行券の世界からやってきた人たちでした。彼らは島の人々の宝貝に相当するものとして輝く金貨を用い複雑な意匠を施した紙を使っていました。
シェル家の王は彼らの貨幣が欲しくなりました。しかしこの王の決断は人々の不安と怒りを呼びました。島の人々は宝貝を貨幣と信じて生活をしていたのです。宝貝が貨幣でないとなれば、財産を失うことにもなりかねません。
人々はシェル貨幣が貨幣としての価値を失ってしまう前に、確かな価値のあるはずのパンの実というかたちで、その価値を取り戻すことをしました。そしてパンの実を新しい貨幣に換え、島の人々は新しい世界との付き合いをはじめたのです。
貨幣とは「価値の乗り物」です。そして価値の乗り物としては、ただ価値を維持するだけでなく利子まで稼いでくれる預金の方が優れているのです。でも、なぜ貨幣を銀行に預けておくと利子が稼げるのでしょうか。そもそも利子とは何なのでしょうか。
かつて利子は罪悪でした。
中世ヨーロッパ社会では、利子とは神の与えてくれた時間を盗むものだ、だから罪だという論理がありました。神に感謝せず勝手に利子を取るのは神のものを盗むに等しいというのです。
では中世日本の利子感覚はどうだったでしょうか。日本に貨幣経済が普及するのは、宋の時代の中国から大量の銭を輸入した平清盛の時代、すなわち日本史における中世に入るころからです。この時代になると商業活動とりわけ金融活動を通じて財をなすことを「徳」とみる風潮が普及します。金貸しを営む大商人は「有徳」の人とされるようになりました。中世の日本では蓄財や利子は、少なくとも倫理のレベルでは非難される業ではなかったわけです。
金本位制の下での中央銀行という仕組みを作り上げたのは英国です。その名をイングランド銀行といいます。
イングランド銀行は設立された1694年当時、戦費調達のため「捺印手形」という利子の付く証券を発行し、そうして得た資金を政府に融資する役割を負っていたのです。信用度の高まった捺印手形は金貨や銀貨よりも安全で便利な貨幣の代替物として各地で通用するようになりました。捺印手形は銀行券へと進化を始めたわけです。
では、そうして形成された銀行券の信用を支えているのは何だったのでしょう。それは、イングランド銀行が金庫に金貨を用意していて、いつでも銀行券を金貨に交換しますという約束でした。銀行券の信用の基礎は、それが金貨の引換券として使えるというところにあったのです。
信用度が十分に高くなれば貨幣の代わりに使えるし、貨幣と同じに使えるのなら、金利はつかなくても人々に受け入れてもらえそうです。これが金本位制の本質です。
金本位制とは金と貨幣価値を結びつける制度です。金と貨幣価値との関係を「平価」と言いますが、これは法律で決めるのが普通です。
かつての日本もそうしていました。日本が金本位制に参加できたのは、日清戦争で清国から巨額の賠償金を得たからですが、この賠償金のほとんどが金為替としてロンドンで運用されています。金為替とは「金への交換が可能な通貨で表示された為替手形」という意味です。要するに、金本位制というのは、金貨ではなく金兌換可能通貨で表示された証券つまり金為替がやり取りされる世界だったわけです。
金本位制は中央銀行が金準備を意識して金利を操作することによって巡航速度が維持できるのです。
20世紀は戦争の時代でした。大きな戦争が起これば貨幣の世界も大変なことになります。戦争が始まると人々の頭には懐が苦しくなった政府がそのうちに平価を切り下げるのではないかという疑念が生じます。平価を切り下げなければ戦費の調達のために発行した国債の償還が難しくなるだろうと読むからです。
そこで、人々が手持ちのオカネを金に交換しようと動き始めると金準備が流出してしまいますから、それを防ぐために中央銀行は金利を引き上げるのです。もし、人々の予想と完全にバランスさせるだけの金利引き上げが行えれば、金準備の流出は起こりません。
しかし、平価切下げの可能性が無視できないと思われるときには、金利だけで事態に対処しようとするのは賢い選択ではないのです。では、どうしたらよいでしょう。答えは、戦争開始と同時に金兌換を停止してしまうことです。大きな危機に際しては金兌換を停止し、危機が去ったら旧に復すというのは、金本位制における教科書的な運営テクニックとなりました。
米国のブレトンウッズという地で第2次世界大戦後の経済体制を決める「ブレトンウッズ会議」が開かれました。
会議ではIMFと呼ばれるようになる国際通貨基金の設立と、世界銀行と呼ばれるようになる国際復興開発銀行の設立、そして、金との交換性を復活させたドルを軸とした国際通貨体制の再構築が決まりました。「ブレトンウッズ体制」と呼ばれたこの体制は、米国のニクソン大統領の演説であっさり崩壊し、その後市場での値動きに通貨価値決定を委ねる「変動相場制」といわれる時代に入ります。今の私たちの時代です。
ブレトンウッズ体制では、まずドルが金に対して平価を設定します。このドルに対して各国は交換比率つまり為替レートを設定します。一度設定した為替レートは通常は動かさないのを原則としたので、ブレトンウッズ体制は「固定相場制」とも呼ばれています。
大戦前の金本位制では各国が金との平価を設定しましたがブレトンウッズ体制では、平価を設定するのはドルだけにして、他の通貨はそのドルとの間で為替レートを決めるというやり方にしたわけです。そしてこの平価でドルを金に交換できるのは、この体制に参加している国の通貨当局に限られます。通貨当局とは、各国の政府と中央銀行のことです。
当時、日本を含めて多くの国では、ドルを勝手に持ち帰ることもできませんでした。金どころかすべての外貨を集中管理していたからです。
ブレトンウッズ体制というのは、金を価値の基準として使うことにしてはいるが、実は人々を金から隔離するための制度だと言ってもよいわけです。
ブレトンウッズ体制は最初のうち良く機能しました。しかし、どんなシステムにも終わるときがきます。ブレトンウッズ体制にもそれが起こりました。
ブレトンウッズ体制で国民を外貨から隔離したのは固定為替相場を維持するという大義名分があったためです。したがって、守るべき固定相場がなくなれば国民を外貨から隔離する理由もなくなってしまいます。
日本の外国為替管理法は1980年に改正され、国民の外貨保有について、それまでの原則禁止から原則自由へと変わりました。通貨たちが人々から選んでもらうために互いに競争し合う世界が再び始まったのです。それが私たちの時代です。
貨幣はこれからどうなるのでしょうか。
通貨にはいつも2つのベクトルが働いています。多くの通貨を統合して一つにしようとする方向に働く「統合のベクトル」と、より多様な通貨を作り出して使おうとする方向に働く「離散のベクトル」です。
「統合のベクトル」について考えてみましょう。人々が頻繁に行き来して物資や資本あるいは労働力の往来が活発な地域内では一つの通貨を使った方が便利で安心なのです。しかし、通貨はどこまでも統合すれば良いわけではありません。
世界には多くの国があり、抱える事情もまちまちです。したがって、そうした異なる事情から生じる問題を通貨の違いで吸収したいという要求がある場合には、通貨を統合すべきではありません。
互いに影響が及ぶことを前提にして、通貨を同じくする良さを最大限に活用しようと考えるわけです。そうした発想で通貨統合の範囲を決めようという考え方を「最適通貨圏」と言います。ここからヨーロッパ共通通貨ユーロが生まれました。
ユーロは経済が好調な時には政府や政治の動きと一線を画し、発展する経済を良く支えることができます。でも政治と財政を動員して防がなければならない危機が生じた時の対応は鈍くなりがちです。財政と切り離して作り上げられた共通通貨ユーロは、平時に強く危機に弱い通貨だったのです。
次に「離散のベクトル」です。貨幣は、誰もが同じものを使えば使うほど良いというわけではありません。人々が貨幣に求めるものは均一ではないからです。ある人々は貨幣を発行することから生じる利益を、同じ地域の発展や福祉のために使いたいと思っているかもしれません。また、ポイントやマイレージを通貨のように使うことを通じて利用者との間の長期的な関係性強化を図りたいと考えている企業もあるでしょう。そうした要求を満足させるためには、多様な貨幣が供給されている方が望ましいわけです。それは貨幣に対する「自由」あるいは「競争」への要求となって現れます。
これから起こることは、貨幣の電子化と多様化です。
貨幣が電子化するというのは、その方が便利で安全だからです。貨幣が多様化するというのは、人々の自由な選択を法律や規則で抑えられるはずがないからです。
そうした貨幣を支える通貨制度の未来を読むときのキーワードは「シニョレッジ」です。
シニョレッジとは、貨幣発行益のことを言います。現在の通貨制度ではシニョレッジのほとんどは、中央銀行の資産運用益というかたちで実現しています。
銀行券に金利をつけて資産運用益(あるいは運用損)を銀行券保有者に帰させるというのは、貨幣を本来の姿に戻す、貨幣を自然の姿に戻すということを意味します。物事というものは自然の姿に戻した方がうまく動くものが少なくありません。貨幣だって例外ではないでしょう。
かつて、金貨や銀貨の時代、貨幣の輝きは皇帝のものではなく、ただそのかたちだけが皇帝のものでした。それなら、銀行券制度における資産運用益だって、国や中央銀行のものとすべきではないのです。
多くの通貨が各々に自身の信用基盤に拠って自立し、互いに競い合う、そうすれば世界はより良く、より安全になるはずだからです。貨幣が競い合う世界の設計に成功したとき、貨幣に新しい未来が開けるはずだ、私はそう確信しています。
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直近はリーマンショック、コロナショックを経てインフレ懸念が起こるなど金融市場がが揺れ動いています。この揺らいでいる仕組みがどう成り立っていて、どのような弱点があるのかを知ることができる一冊です。投資をする上で貨幣の成り立ちを知っていただきたいと私は考えています、特に知っておいて欲しいのが紙幣についてです。産業革命以降、資本主義によって経済が拡大した影響から紙幣の流通が加速しました。本書ではここから銀行システムの成り立ちまで学ぶことができます。貨幣の成り立ちから仕組みを知ることで、金融市場の動きを捉える知識を得ることができるでしょう。 - 瀧澤 信 -