本書は、リーマン・ショックが引き起こされた原因と共に、その世界的金融危機の裏で大儲けした投資家を描いたノンフィクションです。
著者のマイケル・ルイスは1985年にソロモン・ブラザーズという名門投資銀行に入社し、債券セールスマンとして3年間勤務。
退社後、その債券セールスマンの経験をもとにした『ライアーズ・ポーカー』を出版し、ノンフィクション作家としてデビューします。
その題材のひとつだったのが「モーゲージ債」市場です。
「モーゲージ債」市場は、のちのリーマン・ショックにも大きく影響します。
世界金融危機の裏側でいったい何が起きていたのか――、マイケル・ルイスが実名と共にその実態を浮き彫りにします。
ウォール街にある投資銀行の立場は、ラスベガスのカジノに似ている。
カジノ側がオッズを決める。カジノを相手にゼロサム・ゲームに挑む客たちは、ときには勝てるかもしれないが、思いどおりに勝てはしないし、カジノを倒産させるほど華々しい勝利を収めることは絶対にない。
ところが、ジョン・ポールスンというヘッジファンド・マネジャーは、ウォール街というカジノの客であるにもかかわらず、サブプライム・ローン債が下がるほうに賭け、短期間で大金を稼いだ。
ここで、わたし(著者のマイケル・ルイス)の頭には、胴元の弱みを突くという構図が浮かんだ。
アナリストのメレディス・ホイットニーはまったく同じように、胴元の無能ぶりを指摘して名を売った。
カジノ側が、みずから仕掛けたゲームのオッズをひどく見誤り、それに気づいた人物が少なくともひとりはいたということではないか。
わたしは、ホイットニーに電話をかけて質問をぶつけてみた。
サブプライム・ローンにまつわる大変動を予期し、それをもとに財をなす準備をあらかじめ整えていた人物に心当たりがないだろうか? ほかにも誰か、カジノが察知する前に、ルーレット盤の先読みができることに気づいた人物がいないだろうか?
真っ先に名が挙がったのが、スティーヴ・アイズマンだった。
アイズマンがウォール街に足を踏み入れたのは、まさに奇矯な時節が幕を開けるころだった。十年前に創り出されたモーゲージ債市場のおかげで、ウォール街はそれまで縁のなかった領域にまで触手を伸ばしていた。市場は支払い能力が低い下半分のアメリカ人の負債に糧を見出しつつあった。
モーゲージ債はいくつかの重要な点で、昔ながらの社債や国債とは異なっている。モーゲージ債は、期間が明示された単独の大きなローンではない。何千件もの個人住宅ローンのプールから生じるキャッシュ・フローに対する請求権にあたる。当時のモーゲージ債の元となるローンは政府の各機関が設定した基準内に収まっていた。つまり、実質的には政府の保証付きのローンであり、住宅所有者が債務不履行に陥った場合でも、政府が借金を肩代わりしてくれたのだ。
急成長を続けるこの新しい特別融資の業界に、アイズマンが転がり込んだころ、モーゲージ債の新たな利用法が生まれようとしていた。すなわち、政府の保証範囲に入らないローンを売ることだ。それまでは、ひとりの人間の債務はもうひとりの人間の資産であるという図式が固定していたのに、もっともっと多くの債務を小口化した債券に換えることができ、それを誰にでも売ることができるようになった。ありとあらゆる種類の見慣れないものを元に、小さな債券市場が次々と生み出された。
その後、アイズマンがまとめたレポートは、サブプライム・モーゲージのオリジネーター(ローンを提供し、債券をまとめてプールを作成する業者)をすべてごみ扱いしていた。レポートを発表したのは、一九九七年九月。アメリカ史上、屈指の好景気と目された時期のさなかだ。それから一年と経たないうちに、ロシアが財政危機に陥り、ロングタームキャピタルマネジメントが破綻する。それを受けて、安全策を採る風潮ががぜん高まったために、初期のサブプライム金融業者は資金を調達できなくなり、ほどなく次々と倒産に至った。この時点で、アイズマンがただの皮肉屋ではないことが、初めて明らかになった。
アイズマンはやがて、自分でヘッジファンドを設立しようと考えた。金は寄ってこなくても、人は寄ってきた。斜に構えた世界観を共有する同志たちだ。二〇〇五年初めごろには、アイズマン率いる小集団は、ウォール街で働く非常に多くの人間が、自分の仕事の内容をまったく理解していない、という共通認識を持つに至った。
この頃、サブプライム・モーゲージという怪物が、ふたたび立ち上がり、動き始めていた。サブプライム・モーゲージを土台とする債券の年間発行額が、一兆ドルの半分を超えたのだ。「債券の世界が、株の世界を大きくしのいでしまった。債券市場に比べたら、株式市場なんて紙魚みたいなもんだよ」とアイズマン。
株の動向はどんどん債券への依存度を高めつつあったのだ。
二〇〇四年初め、もうひとりの株式投資家マイケル・バーリが、未知の領域だった債券市場に夢中になっていた。アメリカの金銭貸借の仕組みについて、できるかぎりの知識を頭に詰め込んだ。とりわけ知りたかったのは、サブプライム・モーゲージ債の仕組みだ。バーリはサブプライム・モーゲージ債を空売りする方法を模索していた。
当時、当の債券を否定的に見る人間の居場所はなかった。市場そのものが破滅に向かっているという確信があっても、それを行動に表すすべがなかった。住宅を空売りすることはできなかった。
モーゲージ債を空売りする方法を探すバーリは、クレジット・デフォルト・スワップ(以下CDS)に目を留めた。CDSは、おもに社債を対象とした保険契約のことで、半年ごとに保険料(プレミアム)を支払う固定金利付きの商品を指す。「CDSはわたしにとって、天井知らずのリスクを軽減してくれるありがたい金融商品でした」とバーリは言う。
バーリは、二〇〇五年初めに組まれたサブプライム・モーゲージ・ローンは「ほぼ確実に焦げ付く」と予測する。
それから三年も経たないうちにサブプライム・モーゲージ債に対するCDSは一兆ドル市場となり、たちまちウォール街の大手投資銀行内に数千億ドルもの損失を生じさせることになった。
ゴールドマン・サックスは、ある証券を創り出し、その不透明さと複雑さゆえに、投資家と格付け機関から絶えざる誤解を受け続けることになる。合成サブプライム・モーゲージ債にもとづくCDO(債務担保証券)という証券だ。
CDOはそもそも、CDSと同じく、社債と国債の債務不履行のリスクを再配分するために発案されたものだったが、今回は、サブプライム・モーゲージ・ローンのリスクを隠すように改造してあった。そこには、最初にモーゲージ債が創られたときとまったく同じ論法が使われていた。
モーゲージ債の場合、多くのローンをプールすれば、それが一斉に焦げつく可能性はきわめて低いという前提のもとに、数千単位で債券にまとめられ、その債券が一基の塔に積み上げられて、てっぺんに近づけば近づくほどリスクもリターンも小さくなる。
CDOの場合、異なる百のモーゲージ債(通常は、元の塔でいちばんリスクの大きい低層階のもの)を集め、それを材料にまったく新しい債券の塔を建てる。
債務でできた塔の特定の階を使って、なぜわざわざ別の債務の塔をこしらえなくてはならないのか?地面に近すぎる階に属する債券は、最初に損害を受けるから、他のものより低いトリプルBという格付けがされている。トリプルBの債券は、上階に属する安全なトリプルAの債券に比べて、売るのがむずかしい。
そこでゴールドマン・サックスがひねり出した(やがてみんながまねをする)妙案は、今考えると、魔術に近いものだった。百の異なるサブプライム・モーゲージの塔から、それぞれ一階ぶんを計百枚(百の異なるトリプルB債券)寄せ集めたうえで、見た目はともかく、二枚としてまったく同じものはない、と格付け機関を説得したのだ。でたらめもいいところだった。ところがウォール街の投資銀行からたっぷりと手数料を受け取る格付け機関は、なんと、新しい塔の八十パーセントをトリプルAと認定したのだ。
トリプルBの債券を集め、トリプルAになってしまうCDOは、アメリカ下位中流層の人々にとって、事実上の“信用洗浄サービス”といえるもので、ウォール街にとっては“鉛を黄金に変える装置”であった。
一方で、市場の暴落に賭ける人物がいた。それが、バーリの“隻眼”に触発されたドイツ銀行のグレッグ・リップマンである。
彼は、サブプライム・モーゲージ債に対するCDSの山を所有することにためらいがなくなる。保険ではなく、ギャンブルで“ショート”のほうに金を張ったのだ。
“住宅資産中二階(メザニン)トランシュのショート案”と称し、アメリカの住宅ローンが焦げ付くほうに賭けた。これは、サブプライム・モーゲージ債の中で、最も質が劣るトリプルBの層に賭けたCDSを買うことを意味する。
ウォール街の大手銀行も、めざすところは基本的にすべての製造業と同じだ。
すなわち、原材料(住宅ローン)の仕入れにはできるだけ経費をかけず、商品(モーゲージ債)にはできるだけ高い値段を付けること。商品の価格は、商品に与えられた格付けによって変動し、その格付けは、ムーディーズとS&Pが使うモデルによって決まる。モデルの仕組みは社外秘とされ、ムーディーズもS&Pも、不正操作など不可能だと断言している。
しかし、そういうモデルに携わる人間が、不正な働きかけに弱いということは、ウォール街の常識だった。ウォール街のトレーダーたちが、考えられるかぎり最悪のローンに可能なかぎり高い格付けをさせる作戦行動に乗り出した。目端の利くモーゲージ債パッケージ業者は、格付け機関の愚かさや無知の実例を新たに発見するたびに、市場での優位を大きなものにしていった。
最も過大評価された債券とは、“最も不当な格付けがなされた債券”だということになる。
ここに目を付けたアイズマンは、方角こそあいまいだったが、宝の山の地図を見つけ、他の誰にも知られていない“黄金の鉱脈”を探し当てたのだ。
アイズマンが見つけたのは確かに黄金の鉱脈だったが、ほかの誰にも知られていないというのは、間違いだった。すでにリップマンがCDSに関する自説を披露し終えていた。それでも、サブプライム・モーゲージ債に対するCDSを扱う新しい市場に手を出したのは、百人程度にすぎない。その中の少人数の一団はサブプライム・モーゲージ市場全体、ひいては世界的な金融システムが破綻するほうにすんなりと賭けた。そのこと自体が、特筆すべき事実だと言える。そういう投資家の大半に共通しているのは、リップマンの弁舌を耳にしていたということだ。
ウォール街の大惨事では、一流のプロの投資家ですら誰もふさげなかった“穴”が、大きく口を開けていた。この“穴”をふさいだのが、チャーリー・レドリーだ。
彼は、ウォール街が一番起こりそうにないと思っていることを探し出して、“それが起こるほうに賭けるのがウォール街で稼ぐ最善の方法”だとした。事実、チャーリーとそのパートナーは、「市場は急激な変化の起こる可能性を低く見積もりがちである」といった法則から、その方法を導きだし、何度も成功をおさめていたのだ。
そしてもうひとり、チャーリーと同様に金融市場で災難が起こる可能性に関心を向けていた人物がいる。それが、ベン・ホケットだ。彼は金融オプションに、一貫して間違った価格がつけられていることに気がつく。
「市場は極端な値動きの可能性を過少に見積もることが多い」。オプション市場でも遠い未来の値動きが、過去の通常の値動きより「現時点の値動きに近くなる傾向」があったのだ。
オプションが長期になればなるほど、「ブラック=ショールズ価格設定モデル」から導き出される結論の不合理性が増し、そのモデルを利用しない人間が好機をつかむ可能性が大きくなる。
金融市場は、狭い専門知識を持つ多数の人間に大盤振る舞いをする一方で、資本を複数の市場に配分するのに欠かせない広く包括的な視野を持つ少数の人間を冷遇していた。
債券市場が作り出したのは、二重スパイのような立場の人間だった。ウォール街の債券トレーディング・デスクの利益を代表しているのに、投資家の利益を代表しているように見えるのだ。
ほとんど手間をかけず、経費もなしで、何百億ドルもの金を運用するといった“濡れ手で粟”の莫大な収入になっていた。「なぜ投資銀行が進んで賭けに応じるのか?」アイズマンはこの業界の狂乱ぶりを目の当たりにし、一つの答えに辿り着く。
CDOでろ過されたそのCDSは、“現実の住宅ローンに裏付けされた債券を複製するための材料”だったのだ。
アイズマンが賭けに応じたのは、投資家の欲求を満たす量の製品を作るには、ローンを借りてくれる信用度の低いアメリカ人の数が足りないから。
「仕組み金融企業を惹きつける最も確実な方法は、仕組み金融業界が立てた見通しを受け入れること」
この業界にいる人間の大部分が私欲に目をくらまされ、自分たちの生み出したリスクを見ていない。格付け機関の質は、業界にとどまれる最低線すれすれまで落ち、そこで働く社員は自分たちがどれだけウォール街の大手投資銀行に利用されてきたか、気づきもしなかった。
コーンウォールのトレードは、“火災中の家の火災保険を安値で買ったようなもの”のように、結果のはっきりした賭けだった。二〇〇五年半ばから二〇〇七年初めまで十八カ月以上の間、サブプライム・モーゲージ債の価格とその元になるローンの価値との間の乖離は、どんどん進んだ。二〇〇七年一月後半になるとABX指数が下がりはじめ、当初はゆっくり着実な下落だったが、やがて勾配が急になり、六月初めにはトリプルBのサブプライム・モーゲージ債の指数は、六十台後半の終わり値をつけていた。元値に比べて三十%以上、価値が下がったのだ。
この急落を目の前にしても、メリル・リンチとシティグループを筆頭とする大手投資銀行は、新たにCDOを五百億ドル分創り出し、それを販売した。CDOの担保が崩れ去ったことを知っていたにも関わらず、すべてが何事もなかったかのように、そのまま続けられたのだ。
ウォール街の投資銀行、ベアー・スターンズとリーマン・ブラザーズは、その後も変わらず、債券市場の堅調さを裏付ける調査結果を発表し続けた。
チャーリーとベンらの目に映ったのは、“ウォール街が鈍感な顧客に損失を押し付けるために、あるいは朽ちかけた市場で最後の数十億ドルを稼ぎだすためにCDOの価格を底上げしていること”だった。これはもはや、“腐りきったオレンジから果汁を搾り取って売ろう”という意図的な行為である。そこまでにいたっても、格付け機関やSECは現実を見ようとはしなかったのだ。
バーリは、アメリカの金融システムに障害があるという診断を下した初めての投資家だった。バーリは他の投資家に先駆けて、どの悲劇が最も起こりやすいかを過たず見きわめたうえで、大金をきっぱりと、サブプライム・モーゲージ債が下がるほうに賭けたのだった。
二〇〇七年二月、サブプライム・ローンの債務不履行件数が記録的な数字を示し、金融機関が日に日に動揺の色を濃くしてきたころには、それまでのバーリの言動や行動を思い出せる人間が、本人以外に誰もいなくなったように思えた。かつてバーリは、顧客の投資家たちに、辛抱が必要になるかもしれないと通告した。辛抱強い顧客ばかりではなかった。多くの投資家たちが懐疑的な態度に転じたのでバーリは裏切られた気持ちになった。サブプライム・モーゲージ債が下がるほうに賭け続けるため、従業員の半数をやむなく解雇し、さらにショートしていた持ち高を数十億ドルぶん投げ売りしなくてはならなかった。バーリは今、かつてなかったほど孤立していた。バーリは、ウォール街の悪役にされつつあった。
二〇〇七年第一・四半期、サイオン・キャピタルは十八%近い収益増を記録したが、やがて変化が訪れる。ベアー・スターンズの経営下にあったサブプライム・モーゲージ・ヘッジファンド二社が倒産。上場しているトリプルBのサブプライム・モーゲージ債の指数が二十%近く下がったのだ。
二〇〇七年七月の終わりになると、付け値はバーリの有利な方へと迅速に動くようになった。バーリは雑誌や新聞で、自分より一年遅れで同じトレードを始めたジョン・ポールスンらが天才と褒め称えられているのを目にした。バーリの顧客、つまり、預けた金を倍以上にしてもらった人々は、ほとんど何も言わなかった。謝罪も、感謝の言葉もなかった。
ハーウィー・ハブラー。モルガン・スタンレーで資産担保債権の部署を率いていた関係で、ほぼ自動的に、サブプライム・モーゲージ債を巡る賭けの責任者となった。
ハーウィーは特注のCDSを売り、その額は二十億ドルにまで達していた。絶対確実な儲けをもたらすこの“魔性の保険”だが、二〇〇七年四月、国内最大手のサブプライム・モーゲージ金融業者のニュー・センチュリーが破綻。ハーウィーは二〇〇七年十月でモルガン・スタンレーを辞職した。ハーウィーが残していった損失額は、九十億ドル強と言われ、ウォール街史上、最大の損失になったのだ。このあと、ほかの投資銀行も次々と、それ以上の、まさに桁外れの損失を出すことになるが、それはいずれもサブプライム・モーゲージ・ローン時代ならではの壮大な愚挙の彩りを帯びていた。
ほとんど誰ひとり、住宅所有者も、金融機関も、格付け機関も、規制当局も、あるいは投資家も、現在起こっている事態を予期していませんでした。
-二〇〇八年十月二十二日、下院におけるS&P社長デヴン・シャーマの証言より-
アイズマンは言う。「二〇〇七年には、ショートするのも、それで儲けるのも、楽しかった。なにしろ、悪玉をショートしてたんだからね。二〇〇八年になると、金融システム全体がリスクにさらされた。それでも、ぼくらはショートした。だけど、システムが壊れるのを望んでたわけじゃない。洪水が襲ってくる前のノアみたいなものかな。方舟に乗ってて、自分たちの身は安全だ。でも、周りを見渡すと、はしゃいだ気分にはなれない。ノアにとって、それはうれしい時間じゃないんだ」
バーリは、資産運用から身を退く理由を探し始めた。それを見つけるに当たっては、顧客の投資家たちがひと役買ってくれた。顧客たちは、バーリに大金を稼いでもらったというのに、どうやら過去三年以上にわたって“無謀”な賭けに付き合わされてきた精神的負担が償われていないと感じているらしかった。バーリが成し遂げたこととその経緯に関心を持つ人間は存在していないようだった。「無残なまでの人気のなさだった」と、バーリは手紙に書いている。
リーマン・ブラザーズの破産が認められてから四日が過ぎていたが、その余波は弱まることはなかった。モルガン・スタンレーとゴールドマン・サックスの株はどんどん値を下げつつあり、政府の介入なしに立ち直りが見込めないことが明らかとなったのだ。二〇〇八年十月の前半、ようやくアメリカ政府が介入して、金融システムが被ったすべての損失を事実上引き受け、ウォール街の大手投資銀行の破綻防止を宣言した。
もしかすると、最も的確な“投資”の定義とは、“自分に有利なオッズで行なう博打”かもしれない。サブプライム・モーゲージ市場のショート側にいた人々は、自分たちに有利なオッズで博打をしていた。反対側(要するに金融システム全体)にいた人々は、自分たちに不利なオッズで博打をしていた。そこまでは、「世紀の空売り」の物語も、こよなく単純なものだった。ところが、この勝負の奇妙かつ複雑な点は、敵味方に分かれた重要人物たちのほぼ全員が、財布をずっしり重くしてテーブルを離れたということだ。
ウォール街の投資銀行のCEOたちもまた、博打の負け側にいた。その全員が、一人の例外もなく、自分の経営する企業を破産に追い込むか、さもなければ、アメリカ政府の介入によって破産を免れた。そして全員がやはり金持ちになった。
「真の悪行とは、金融リスクを不正取引する人々ともっと広い社会とのあいだの、利害のずれの拡大だ。水面にはさざ波が立っていたが、そのずっと下の深みには、余得の“よどみ”が揺らぎもせず横たわっていた。」
二〇〇八年のウォール街での出来事は、ウォール街のリーダーたちだけでなく、アメリカ財務省と連邦準備制度理事会の両者によって見直され、“信頼の危機”という新たな枠をはめられた。つまりは、リーマン・ブラザーズの破綻に端を発した単純でありきたりの金融恐慌だったというわけだ。
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リーマンショックを題材にした小説。映画化もされた「マネーショート」の原作でもあります。リーマンショックを追体験できるので、その業界に居なかった方、若い方にオススメの1冊です。バブルが起きていることは経験している人には分かりますが、そうでない人には分からないので、こうした本を読むことで、バブルを追体験することが、今後の投資戦略に役立ちます。- 江幡 吉昭 -
過熱する相場の中で、相場の逆張り発想で成功した人達のストーリ。「マネーショート」という映画にもなりましたが、是非本を読んでほしいと思います。なぜ彼らが空売りをすると決めたのか、また不動産バブルに至るまでの過程が分かり、相場の行き過ぎについての考えを教えてくれる一冊です。- エミン・ユルマズ -