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マネーの公理
マックス・ギュンター
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本書は最も広い意味での「賭け」についての本である。本書では株式市場についての記述が頻繁に出てくるが、それ以外の「より多くのお金を得るためにリスクをとって賭けをする」ことにも応用できる。

誰もが勝ちたいと考えているけれど、誰もが賭けたいと考えているわけではない。そこに決定的な違いがある。恐らく、ほとんどの人は賭けることなく勝ちたいと考えている。

われわれは、リスクをとるのは愚かなことだと教えられてきた。分別のある人々は自らが存在するための基本条件が脅かされない限り、賭けをしない。元気で充実した人生とは、身を粉にして働く人生である。それはおそらくはつまらないが安全だ。

しかし、私たちスイス人のように合理的にリスクをとることを厭わないのであれば、本書は役に立つ本である。節約する人に貧しい人はいない

そして本書ではすべての投資を「投機」と考える。投資家と投機家に何ら違いはない。本書で語るマネーについての約束事「チューリッヒの公理」は投機についての公理だが、愚かな賭けについての公理ではない。

本書で紹介するマネーについての約束事「十二の公理」は、すべて「リスク」とその「マネジメント」に関するものであり、多くの人々を金持ちにしてきた。

第一の公理 リスクについて 

〈心配は病気ではなく健康の証である。もし心配なことがないなら、それは十分なリスクをとっていないということだ〉

殆どの人は安全をつかもうとする。安全は、冬の夜の温かいベッドの中のような、あの心地よいどっぷり漬かったような感覚を与え、安堵感をもたらす。

最近の多くの精神科医や心理学者は、それを良いことだと考えている。心配は害を及ぼし、精神科医はわれわれを安心させる。このことは人々の勝手な独断により受け入れられるようになった。 

しかし、チューリッヒの公理はこの正反対にある。人生は冒険すべきだ。危険に直面するとき、あなたの自然で健康な状態は、心配事を抱えていることだろう。心配は人生の最大の喜びと切り離すことができないし、冒険は人生を生きる価値のあるものにする。

そして、冒険したいのであれば自分をリスクにさらすことだ。大多数を占める貧乏人クラスから這い上がる唯一の方法はリスクをとることである。

もちろん、リスクをとることは損失の可能性も意味している。しかしこう考えてみてはどうだろう。

「世界のすべてを背負いながら、税金に追われ、インフレに翻弄されていては、給与所得者の財産はかなりみじめなものと言わざるを得ない。金持ちになろうとして多少今より貧乏になったからと言って、どれだけ違いがあるだろうか」

心配という状態は人生のスパイスだ。一度慣れてしまえば、それを楽しめるだろう。

副公理1

〈いつも意味のある勝負に出ること〉

「失っても大丈夫な金額だけ賭けること」は昔からの決まり文句だが、100ドルを賭けてそれが倍になったとしても、あなたは依然として貧しいままだ。投機するなら、傷つくことを厭わずに、少しでも心配になるような金額を賭けること。

副公理2

〈分散投資の誘惑に負けないこと〉

分散投資はリスクと同じくらい、金持ちになるという希望をも減少させる。投機においては、純粋に魅力のある対象だけにお金を投じるべきである。 「すべての卵は一つの籠に入れろ、そして籠を守れ」 、一ダースもの籠を見守るより、一つか二つの籠を見守る方がよっぽど簡単である。

第二の公理 強欲について

〈常に早すぎるほど早く利食え〉

われわれのほとんどは、かなり強欲だが、強欲に支配されてはいけない。勝利が続くと期待してはいけないし、ブームがピークに達するのを待ってもいけない。早すぎるほど早く利食う習慣に慣れること。

副公理3

〈あらかじめどれだけの利益が欲しいのかを決めておけ。そして、それを手に入れたら投機から手を引くのだ〉

投機の終わりを決めるのは本当に難しい。しかしこれはマスターせねばならないテクニックであり、よい投機家にとって不可欠な知識の一つだ。

終わったことを自分に納得させるための優れた方法は、ゴールになにかしらの褒美を設けること。ゴールに達したら、儲けの一部を使って幸せになるなにかを買う。そうすれば投機の終わりが楽しみを伴うものになる。

第三の公理 希望について

〈船が沈み始めたら祈るな。飛び込め〉

下落しつつある投資対象に捕まることは、世の中で最悪の極みだ。船が半分水に浸かるまで待ってはいけない。期待したり祈ったりせず冷静になり、状況が改善しないことを見極めたなら手遅れになる前に行動を起こすのだ。

後悔の恐怖にかられ、間違いを認められず、投資を断念することに躊躇するかもしれない。しかし、損を納得して受け入れることは絶対に必要な投機技術だ。

副公理4

〈小さな損失は人生の現実として甘んじて受けよ。大きな利益を待つ間には、何度かそういう経験をすると考えろ〉

損を受け入れることは簡単ではないが、最も生産的な態度は、人生においてわずかな損失はあると思うこと。小さな損失は大きな利益を期待するための投機コストの一部だ。

第四の公理 予測について

〈人間の行動は予測できない。誰であれ、未来がわかると言う人を、たとえわずかでも信じてはいけない〉

1969年に消費者物価指数が5%上昇したとき、主要エコノミストのコンセンサスは1970年後半には徐々に低下するというものだったが、インフレ率は倍増した。1979年に11.5%に高騰したとき、予言者のコンセンサスは金利は1980年代半ばまで二桁を維持するというものだったが、1982年には1969年の穏やかな水準まで戻していた。

予測が可能で信頼できるものは太陽がいつ昇るかなどの自然現象であり、すべて人間が起こすお金の現象は、完全に予想することはできない。

成功する投機家は、おそらく起こるであろうことについて行動したりせず、その代わり、起こったことに反応する。

第五の公理 パターンについて

〈カオスは、それが整然と見え始めない限り危険ではない〉

お金の世界に公式やパターンはなく、無秩序で混沌としている。秩序を見出したと思った瞬間に、あなたは危険にさらされる。時折現れるパターンは儚くて、計画の健全な基礎にはならない。 

秩序が存在しないところに秩序を見つけようとしてはいけない。投機対象の「研究」によって勝算が高まるかもしれないが、投資においてはとくに、幸運という圧倒的に大きな存在を無視することはできず、幸運なしでその研究が確かな秩序を創造することはないのだ。

副公理5

〈歴史家の罠に気をつけろ〉

歴史は繰り返されることもあるが、それはめったにない。ことお金が関与すると、「歴史家の罠」は危険である。

歴史は繰り返すという思い込みが秩序を作り出し、その秩序を信じたいという欲求は非常に強力で、人を破滅に追い込む可能性さえある。

こうした歴史家の罠は投資の助言ビジネスのいたるところに存在している。

副公理6

〈チャーティストの幻想に気をつけろ〉

チャーティストの幻想は多くの場合、歴史家の罠をグラフで誇張したものである。彼らは過去のパターンは繰り返されると信じており、次の機会にそのパターンと同じような揺らぎと波の組み合わせを発見すると、それに従い投機行動をとる。

また、チャーティストの幻想は本質的には無秩序な一連の数字を、重要なトレンドのように見せることができる奇妙なやり方からも生まれる。

グラフ用紙に線を引くことは、数字の変化を鮮明に見る上では便利だが、惑わされる危険性も持ち合わせているのだ。

副公理7

〈相関と因果関係の妄想に気をつけろ〉

人の心は秩序を求める。二つ以上の出来事が接近して起きるとき、われわれはそれらの出来事が関連している方が心地よいので、複雑な偶然の関係を組み立てようとする。

市場動向との偶然の相関はありふれているが、実際に原因が作用していることを本当に確かめられない限りは、それは偶然の結果であると考えるべきだ。われわれが相手にしている相場はカオスなのだから。

副公理8

〈ギャンブラーの誤謬(ファラシー)に気をつけろ〉

「今夜はついている」――。こうしたギャンブラーの誤謬は、秩序ある幻想の中でもとりわけ奇妙な現象で、多くの賢い人々がこの罠に陥ってしまう。

ルーレットを二八回も連続で的中させ、貧しい少女が一夜にして女王にまで変身した逸話もある。こういう話は人々を惹きつけ、長きに渡り語り継がれる。しかし、三回連続してルーレットの赤が来たからといって、次も赤が来る可能性を示唆するものでもなく、二十八回連続勝利の予兆でもない。

ギャンブラーの誤謬は、第二の公理「強欲」をコントロールできなくするほどに強力で危険だ。一夜で女王に変身を遂げた彼女は、自分が無敵であることを疑わず、何度も連勝が来ることに賭けたが、もちろん連勝が続くわけもなく、一文無しとなり、みすぼらしいアパートの一室で最期を迎えたという。

第六の公理 機動力について

〈根を下ろしてはいけない。それは動きを鈍らせる〉

現代のメンタルヘルス理論では、根のないことは心配と同じ範疇に入り、あなたにとっては悪いことのように感じられる。

根を下ろすことは確かにいろいろな意味で良いことだ。昔からの友人や隣人に囲まれていれば心地よい満足がもたらされる。しかし、資産運用においては根を下ろすことで投機家としての成功を小さくしてしまう。

副公理9

〈忠誠心やノスタルジーといった感情のせいで下落相場に捕まってはいけない〉

投資対象に強く執着することは間違っている。家や地域、会社などに固執してはいけない。愛着心や忠誠心に売買の意思決定を邪魔されると、投機家としての好機を逃してしまうだろう。

副公理10

〈より魅力的なものが見えたら、直ちに投資を中断しなければならない〉

投機か趣味かわからない状況に陥るほど、投機対象に根を下ろしてはならない。人ではなく物に愛着を持つと、必要な時に素早く行動する機動力が低下する。

また、「報われることを待つ」という状況も根を下ろしてしまうもう一つのケースだ。より有望な投資先が見つかったのであればすぐ決断して、迷わず乗り換えるべきなのだ。

第七の公理 直観について

〈直観は説明できるのであれば信頼できる〉

直観は「軽視」するでも「盲信」するでもなく、「識別」せよ。

心の経験の明示である直観を感じたら、その直観を生み出すほど巨大なデータの図書館が心の中に存在するかを自問すること。その特定の話題について、十分に勉強したか、常にフォローしてきたか、多くの知識を吸収してきたかと自問するのだ。

そうすることで、「確固たる事実に基づいていない直観」を排除できる。

直観は有効な投機ツールになり得るが、100%信用できる公式ではない。

副公理11

〈直観と希望を混同するな〉

自分が起こってほしいことが起こるという直観に対しては、特別な注意を払って検証し、いつもの倍は警戒すべきだ。反対に、自分が望まない結果を示唆する直観は信頼に値する。

第八の公理 宗教とオカルトについて

〈宇宙に関する神の計画には、あなたを金持ちにすることは含まれていないようだ〉

神の考え、あるいはそのほかの至上の助けは、あなたの投機的行動になんの役割も果たさない。神は、あなたに多くを与えてくれるかもしれないが、あなたの銀行口座には関心を持っていない。

お金と超自然現象が組み合わさると投機は突然うまくいかなくなる。だから二つの世界は隔離しておかなければならない。

副公理12

〈占星術が当たるのであれば、すべての占星術師は金持ちであろう〉

占星術師や占星術の信奉者たちが、全員金持ちであるという事実はなく、お金に関しては彼らも、ほかの誰もがそうせざるをえないように、暗闇で手探りをしなければならない。占星術師や占星術の信奉者たちもまたあらゆる場所にランダムに集まる人々と何ら変わりないということだ。

副公理13

〈迷信を追い払う必要はない。適当な所に置くことができれば楽しめる〉

迷信を使うのは合理的な分析ではどうにもならない状況においてである。例えば、宝くじやゲームで遊ぶために数字を一つ選択するときなど。

どの数字も同じ確率で当選し、分析のための手掛かりはない。結果は完全に偶然によって決定されるのだ。

ここであなたにできることは、リラックスし楽しむこと。決して真剣にならず、あなたが好きな迷信に頼るのだ。正しい方法で、正しいときにだけ迷信を使い、決して大事なときに迷信に頼らなければ、経済的には健全でいられるはず。

第九の公理 楽観と悲観について

〈楽観は最高を期待することを意味し、自信は最悪に対処する術を知っていることを意味する。楽観のみで行動してはならない〉

希望や期待といった楽観的な姿勢は、通常は被害を与えてくることはないが、特定の投資に応用する場合には注意すべきだ。投機の世界では、事態は、ほとんど常に見えるままに悪い。多くの場合は見える以上に悪い。判断を曇らせる楽観は投機家の敵である。

公理は楽観の代わりに自信を探せと教えている。物事が悪い方向に進んだときに、自分をどう救うのかについてわかっているかどうか。それを知っているなら、あなたはすでに自信を持っている。

第十の公理 コンセンサスについて

大多数の意見は無視しろ。それはおそらく間違っている

大多数の主張は常に間違っているわけではないが、正しいことより間違っていることの方が多い。何も考えずに大多数に同意して、またはそれに反して賭けることを避けよ。そうしてお金をリスクにさらす前に、自分自身であらゆることをよく考えるべきなのだ。

副公理14

〈投機の流行を追うな。往々にして、何かを買う最高のときは、誰もそれを望まないときである〉

株価が安いときに買い、株価が高いときに売るというのが売買の最高のタイミングであるが、このシンプルな公式を行動に当てはめるのが驚くほど難しい。なぜなら、人気の圧力に反して行動することが求められるケースもあるから。

株のような投機対象は一般的に多くの人が買う価値がないと思えば下落する。つまりそこには、買うべきときはまさに大多数の人が「買うな!」と言っているときだというパラドックスがある。

群衆がしていないことをすべき、ということをただちに意味していない。投機の流行にただ押し流されるのではなく、群衆が何をしているか、何と言っているかに構わず、自分自身の理由によってのみ行動すべきなのだ。

こうした群衆の圧力に対する最適な防衛策は、その存在と力を鋭敏に認識することだろう。

第十一の公理 執着について

〈もし最初にうまくいかなければ、忘れろ〉

一つのことにこだわる執着は投機家にとっては罠となり、投資先選択の自由を手放すことになりかねない。利益はどの投資先からもたらされようが同じで、「その利益を得るためだけに投資先を選択する」という自由を重視すべきだ。

副公理15

〈難平買で悪い投資を何とかしようとするな〉

※ナンピン(難平)買いとは、保有している銘柄の株価が下がったときに、さらに買い増しをして平均購入単価を下げる売買手法。ナン(難)=損を平均することからナンピン(難平)という。

難平買やドルコスト平均法として知られるテクニックは、最も魅力的な罠の一つだ。一見しただけでは疑う余地のないほど論理的に見えるが、例えば難平買いは、自分自身を騙すことである。

難平買いをしたくなった場合は、「100ドルで買ったこの株を今持っていなかったとしても、50ドルのこの株をさらに買うだろうか」と自問すべきだ。答えがノーであれば、新しい資金をうまくいっていない投機につぎ込んではいけない。執着を捨て、選択の幅を広げ、利益が得られる機会を増やすべきである。

第十二の公理 計画について

〈長期計画は、将来を管理できるという危険な確信を引き起こす。決して重きを置かないことが重要だ〉

お金の世界は、木が育つようにゆっくりと予想通りに変化するものではないのに、エコノミストや投資アドバイザーからはあたかもそのように話をされることが多い。そうした将来の見通しは心地よい感覚をあなたにもたらしてくれるが、計画とは一生の無秩序の幻想である。

今から二十年後にあなたの資産が存在する世界のことを、あなたは知ることはできないのだから、長期計画を立てようとしてはいけない。 

その代わりにフットワークを軽くしておくべきだ。好機が到来したらお金を投資し、危険が現れたら撤退する。こうした対応を可能にする進退の自由を大切にすべきである。

副公理16

〈長期投資を避けよ〉

長期投資はここまでみてきた多くの誤った考え方と同じように魅力を持っている。主たる魅力は苦痛を伴う決断を頻繁に下す必要から解放されることだろう。これは人間が誰しも持っている惰性と臆病という習性に迎合する。

必要な長期資産計画は「金持ちになろうとする意志」の一つだけなのだ。

著者
マックス・ギュンター
投資家。かつてスイス銀行界に身を置き、世界的にも名を知られた金融マフィア「チューリッヒの小鬼たち」の1人を父に持つ。13歳で株式マーケットに参入し、財を成す。
出版社:
日経BP
出版日:
2005/12/22

※Bibroの要約コンテンツは全て出版社の許諾を受けた上で掲載をしております。

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